ドレスデン近郊の観光スポット:絶景!ケーニッヒシュタイン要塞

ドレスデンから日帰りできるザクセンの観光地といえばザクセンのスイスが有名ですが
そのほど近くに、岩山の上に建つお城があるのをご存じでしょうか?
その名も「王様の岩」ことKönigstein (ケーニッヒシュタイン)
ケーニッヒシュタインは町の名前で、そこに建つのがFestung Königstein(ケーニヒシュタイン要塞)です。
ドレスデンに住む友人チェコ人夫婦の所に遊びに行った際「お天気が良かったのでせっかくだからちょっと遠出をしてみよう!」ということで連れて行ってもらいました。
ケーニッヒシュタインはドレスデンから南東に35キロほど、チェコとの国境近くに位置します。
今回は車でしたが、電車でもドレスデン中央駅から1本で行くことができます。
ドレスデンから40分ほど。
駐車場を出ると丘の上に建つ大きなお城の姿が!!
お城を目指して緩やかな坂道を歩いて行きます。
ちょうど紅葉の季節で黄色がまぶしく輝いています。
落ち葉の敷き詰められた坂道を上り終えるとお立派な要塞が姿を現します!!
こちらの城壁は天然の岩の上につくられていることが分かります。
この城壁から出ている鉄のはしごみたいなもの、パノラマエレベーターで
城壁沿いを絶景を眺めながら上に上がれるもののようなのですが
残念ながら故障中・・・
ということで、トンネルの中にある普通のエレベーターで上へと上がります。
さあ、城壁の上へ出るとそこに広がる風景!!
お城の周りに広がるザクセンの自然のパノラマ
すぐ側にはエルベ川が流れています。
目次
ヨーロッパ最大級の山上要塞
いきなり城壁の上へと出てきてしまいましたが、城内への門んは下にあったようです。
こう見ても、お城の建物も岩の上に建てられているのが分かります。
この要塞ものすごく広いんです!
パンフレットによるとサッカー場13コ分!!(日本だといかに大きいかを表すときに東京ドーム●コ分で表しますが、ドイツはサッカー場との比較なんですね)
山上の要塞としてはヨーロッパで最大級の規模を誇る敷地内には50以上もの建物が立ち並びます。
なんだかちょっとした町のようです。
城壁の反対側へ来て見ると、向かい側にザクセンのスイスの岩山が見えます!
ここはエルベ川がU字に蛇行しているので、こちらから見ると水に浮かぶ島のように見えますね。
ケーニッヒシュタイン城の歴史博物館
岩山の上に建つこの立派な城砦。
どうやってこんな立派なものを作ったんだろ?いつ頃できたんだろう?
気になりますよね!?
歴史大好きな私はとっても気になるのですが!
敷地内にはケーニッヒシュタインの歴史をたっぷりと説明してくれる博物館もあります。2階建てで見ごたえのある博物館です。
自分の備忘録として、博物館で仕入れた情報をまとめておきます。
まずは要塞の模型が出迎えてくれます。
この要塞大きすぎて、自分がこの中にいるとどうしたって全貌を写真に収めることができずスケールをお伝えできないのですが、この模型で伝わるでしょうか。
博物館の説明によると、中世まではこの辺り一帯のエルベ砂岩の山々にはほとんど人は住んでおらず、12世紀になってようやくこの辺りに山を切り開いて村ができ始めます。
当時このあたりはボヘミア王国の影響下にありました。
ケーニッヒシュタイン城の存在が初めて文献で確認できるのは、13世紀のボヘミアの王様Wenceslaus1世の時代のことです。この王様は領内の各地にたくさんの城を立て各地を移動しながら統治をしていたそうで、ケーニッヒシュタインもその内の一つだったようです。
Wenceslaus1世が1241年に発布した綱領のなかではじめてここの地名としてKönigsteinの名前が確認できるのだそうです。
その後1359年には神聖ローマ皇帝兼ボヘミア王(今のチェコ)のカール4世(プラハのカレル橋の名前の由来の王様ですね)もケーニッヒシュタイン城に滞在しています。彼はこの地をとても重要とみなし、後継者たちには決してここを割譲しないよう指示をしたほか、お城の改修も行っています。
中世期を通して幾人の統治者たちがケーニッヒシュタインの丘と城を狙いますが、特にボヘミア王とマイセン辺境伯ヴィッテン家はこの地を巡って火花をちらします。
最終的に1409年にケーニッヒシュタインはマイセン辺境伯の統治下に入り、その50年後Eger協定によりザクセンとボヘミアの国境が決まります。この時以来ここはチェコ領からドイツ領に移ったということですね。
さぁさぁ、今は城砦として立派な風格のこのお城ですが、ここまでの中世期には王様が住むためのお城でした。
それが要塞へと変わっていくのは15世紀から16世紀のこと。
この頃、武器として鉄砲が発明されたことにより戦争がそれまでの戦い方とは変わり、これまでのお城では戦いに備えられなくなってしまったというのが理由だそう。もともとここはボヘミアとザクセンの国境付近ですから戦いに備えるのは重要です。
岩山の上に要塞を築こうと計画を始めたのはザクセン選帝侯アウグスト王で、彼はまず水を確保するために152.5mの井戸を掘ることから始めます。
実施に要塞の建築を開始したのは1589年、後継者のクリスチャン1世です。工事は急ピッチで進められ、たったの5年間で要塞と主要な建物は完成してしまいます!機械もないこの時代に岩山の上に5年でこの壮大な要塞を築くとは・・・どれだけの労力を要したことでしょう。
要塞建築の様子が模型で再現されています。
で、この模型をよく見てみると・・・
左下のおっちゃん
黄色いヘルメット?1人現代人が混じってます(笑)
その他の人々はちゃんと当時の装いで再現されているのに。
オチャメなことしますね、この博物館!!この遊び心に惚れたわ💛
と、おっちゃんに気を取られつつ・・・
実際要塞の建設には膨大なお金、用具設備、輸送技術、そして大量の労働力を必要としました。夏には500人もの人々が建設に勤しんだのだそう。中には封建制の奉公として無償で働いていた人たちまで。採鉱、石切、石工、れんが工、大工、屋根職人などたくさんの職人さんも動員されました。
もともとの岩山を削って平にする際に出た岩はそのまま他の部分の建設に使われていたり、レンガはその場で作っていたようです。形作られたレンガは一旦日陰で乾燥させ、それから窯で焼きあげられます。
レンガ造りのために大量の薪を必要とするので、それらは手に職のない人たちによって建設現場まで運ばれました。
木こりのみなさんは近場の森で大量の木を切り倒し、その木々は大工さんの組み上げる足場や建設用の機会に利用されます。大きな巻き上げ機と踏み車で岩やレンガを上へと運び上げ、要塞が作り上げられていったのです。
長くなりましたが、ケーニッヒシュタインはその後は狩り好きのザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世によって狩猟用の館が追加されたり、宮廷の催しに利用できるようにと華やかな要素も伴って行きます。更にアウグスト強王、アウグスト2世、3世と芸術的趣向をもった王たちによって華が加わります。
こうしたこのお城の歴史と共に、30年戦争や7年戦争といった歴史上の出来事の際にこの城の果たした役割というのも説明がされていて、見ごたえのある博物館です。
城壁の外へ
博物館を後にし、逆走ですが最後は城門をくぐって城壁の外へとでます!
これは迫力ですね!天然の岩とそれを活かして建設された白い壁とのコントラストがはっきりと分かります。
ケーニッヒスタイン基本情報
アクセス
山の上のケーニッヒシュタイン要塞までドレスデンから約35km、ケーニッヒシュタイン町の中心から3km
【ドレスデンから】
◆電車◆
ドレスデン中央駅からSバーンS1線 Königstein ― Schöna行き <片道6.2€>
電車の時刻表はVVOのサイトにて
Königstein駅から要塞まではFestungsexpressで約10分<9:00~16:30まで30分毎に運航/片道4€/往復5€>
【ピルナ(Pirna)から】
◆バス◆
241番のバスPirna ― Königstein ― Hiniterhermsdorf行き
詳しくはバス会社のサイトにて
営業時間
オフシーズン(2018/11/1~12/31)9:00~17:00
ハイシーズン(2018/3/24~10/31)9:00~18:00
入場料
大人:オフシーズン 8€/ハイシーズン 10€
子供(6歳までの子供は無料):オフシーズン 7€/ハイシーズン 9ユーロ
家族(大人2人+16才以下の子供4人まで):オフシーズン 21ユーロ/ハイシーズン 25€